美しい景観を守り育てる農業とそのブランディング ~地域全体の魅力を高めるアプローチ~
はじめに:地域景観が持つ農業ブランディングの可能性
地域の農業振興やブランディング施策に携わる皆様におかれましては、日頃より地域資源の活用にご尽力されていることと存じます。食文化、特産品、歴史など、地域には多様な資源がありますが、その中でも「美しい景観」は、農業ブランディングにおいて極めて重要な、そして見落とされがちな資源の一つです。
棚田が織りなす曲線美、果樹園が彩る里山、広大な平野に広がる作物畑。これらの景観は、単なる風景としてだけでなく、そこで営まれる農業の営み、地域の歴史、人々の暮らしそのものを物語っています。このような美しい「農のある景観」は、消費者に地域の魅力を伝え、農産物に対する共感を呼び起こす強力なツールとなり得ます。
本稿では、地域景観を守り育てることと農業ブランディングを結びつけ、地域全体の魅力を高めるためのアプローチについて、自治体職員の皆様の視点から解説いたします。
景観が農業ブランディングに与える多角的な価値
地域景観は、どのように農業ブランディングに貢献するのでしょうか。その価値は多岐にわたります。
1. 視覚的な魅力と記憶への定着
美しい景観は、人々の心に強く印象を残します。その景観と結びついた農産物は、単体で存在するよりも記憶に残りやすく、特別な価値を持つように感じられます。近年ではSNSの普及により、「インスタ映え」する景観や、そこで得られる体験が共有されやすく、視覚的な訴求力はブランド浸透において無視できない要素となっています。地域の代表的な景観を農産物のパッケージやプロモーション素材に積極的に使用することは、効果的なブランディング手法の一つです。
2. 地域イメージとの一体化と信頼醸成
特定の景観は、その地域固有のイメージと強く結びついています。例えば、雄大な山の麓で育つ作物は「清らかな水と空気」を連想させ、急峻な棚田で手塩にかけて育てられた米には「手間ひまかけた丹念な仕事」といったストーリーが自然と付随します。景観が持つイメージと農業、そして農産物を一体として訴求することで、消費者からの信頼や共感を醸成しやすくなります。景観の美しさが保たれていることは、地域全体が環境や品質に配慮していることの証ともなり得ます。
3. 体験価値の向上と深いエンゲージメント
消費者は、単にモノを購入するだけでなく、「コト」つまり体験に価値を見出す傾向を強めています。美しい景観の中で行う農作業体験、収穫体験、あるいは景観を眺めながらの食事などは、都市部では得られない特別な体験となります。このような体験は、農産物そのものへの愛着だけでなく、地域そのものへの深いエンゲージメントを生み出します。農泊など滞在型の取り組みにおいても、美しい景観は重要な要素となります。
4. ストーリーテリングの土台
景観は、その背景にあるストーリーを語る上での重要な要素です。なぜその土地にその景観が生まれたのか、そこで働く人々はどのような想いで農業を営んでいるのか。景観を起点として語られるストーリーは、農産物に深みと個性をもたらします。消費者にとって、ストーリーは単なる情報ではなく、感情的な繋がりを生むための鍵となります。
自治体が主導・支援できる具体的な取り組み
地域景観を農業ブランディングに活かすためには、自治体の計画的かつ総合的な取り組みが不可欠です。
1. 景観保全・活用のための制度設計と支援
美しい農村景観は、自然に維持されるものではなく、人々の手による営みがあって初めて保たれます。棚田や里山などの景観保全には、農地の維持管理や鳥獣害対策など、農家の皆様にとって負担となる作業も伴います。自治体は、景観保全のための条例整備や、景観維持に資する農業活動への補助金制度、景観形成協定の推進などを通じて、農家や地域住民が景観を守り育てる取り組みを後押しすることが重要です。
2. 景観を活かした観光戦略との連携
景観は観光資源そのものです。農業ブランディングと観光戦略は密接に連携させるべきです。景観ビューポイントの整備、景観を楽しみながら地域を巡るルート設定、サイクリングロードやウォーキングコースの整備などを進め、観光客の誘致を図ります。そして、これらの景観と結びつけて地域の農産物や食文化を発信する仕組みを構築します。観光協会やDMO(観光地域づくり法人)との連携は不可欠です。
3. 景観を前面に出した情報発信の強化
地域のウェブサイトやパンフレット、SNSなどで、美しい農村景観の写真を積極的に活用し、視覚に訴える情報発信を行います。特定の景観と、そこで生産される農産物をセットで紹介するコンテンツを制作します。ドローンを活用した空撮映像なども効果的でしょう。また、メディア露出の機会があれば、地域の景観と農業を結びつけた切り口で情報提供を行います。
4. 景観を活用した体験プログラムの開発支援
景観を活かした農業体験、収穫体験、ピクニック、景観の良い場所でのイベント開催などを企画・支援します。農家や体験事業者、観光事業者など多様な主体と連携し、魅力的なプログラムを開発します。これらの体験を通じて、参加者に地域の景観と農業の価値を深く理解してもらう機会を提供します。
5. 商品デザインへの景観の反映
農産物のパッケージデザインや商品ラベルに、地域の代表的な景観イラストや写真を活用することを奨励・支援します。例えば、棚田で育った米のパッケージにその棚田の風景を描くなど、景観を商品の顔の一部とすることで、消費者に直感的にその地域の農産物であることを認識させ、親近感や特別感を醸成します。
6. 地域内の意識共有と連携体制の構築
美しい景観は、農家だけでなく、地域住民、NPO、企業など様々な主体の協働によって保たれます。自治体は、景観保全の重要性や、それが地域全体の魅力向上、ひいては農業や観光の振興に繋がることを、地域内で広く啓発し、共通認識を醸成する役割を担います。関係機関による協議会を設置するなど、横断的な連携体制を構築します。
成功への示唆:景観を守り育てること自体を価値として訴求する
景観を活用したブランディングにおいて最も重要なのは、「美しい景観が保たれていること」そのものを、地域の農業や農産物の価値として訴求することです。それは、その土地で持続可能な、環境に配慮した農業が営まれていることの証であり、地域全体が未来に向けて努力している姿勢を示すからです。
単に景観を「利用する」だけでなく、「守り育てる」プロセスやそこに込められた人々の想いをストーリーとして語ることで、消費者との間に深い信頼関係を築くことができます。景観保全に取り組む農家や地域住民の活動自体を、ブランディングの重要な要素として光を当てることも有効です。
結論:景観と農業の一体的なブランディングによる地域全体の価値向上
地域ならではの美しい景観は、農業ブランディングにおいて計り知れない可能性を秘めた地域資源です。景観を単なる背景としてではなく、農業の営みと一体となった地域の「顔」として捉え、その保全と活用を戦略的に進めることは、農産物のブランド力向上だけでなく、地域全体の魅力向上、関係人口・交流人口の増加、さらには移住・定住の促進にも繋がる包括的なアプローチとなります。
自治体は、景観保全のための支援、観光戦略との連携、情報発信の強化、体験プログラム開発支援、デザインへの反映、そして地域内の連携促進といった多様な役割を担い、この一体的なブランディングを推進していくことが求められます。美しい景観が未来に引き継がれることは、地域農業、そして地域そのものの持続可能な発展に不可欠な要素となるでしょう。